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『私たちの町』(蘇原小学校出版)に見る昭和30年ごろの蘇原

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公開日:2021/03/05

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昭和31年5月に、稲葉郡蘇原小学校(現各務原市立蘇原第一小学校)出版の『私たちの町』という小冊子があります。子どもたちが自分たちの住む地域について知り、学びを深めるために、社会科の先生と生徒が調査・編集して出版した小学生用の副読本です。

高度経済成長期以前の蘇原地区の具体的な様子がよく分かる貴重な資料ですので、ピックアップして紹介します。

昭和30年の蘇原地区の人口は9350人で、現在の同地区の人口は約3千人ですから、約1/3です。戸数は1852戸、そのうち農家戸数は722戸で、全戸数の39%でした。現在の各務原市の農家戸数割合は約3%ですから、当時蘇原地区は農村地帯であったことが分かります。

工業では蘇原地区に45の工場がありましたが、川崎重工の飛行機工場・同バス工場(高山線の北の工場)・大和製作所(川崎工場の木工及びバスの尾部製造)・天竜工業(バス座席製造)・郡上紡績の5か所以外は、従業員10人以内の小零細工場(89%)ばかりです。

業種別では食品加工が20か所(44%)で、各務原の主要農作物のサツマイモ加工のでんぷん工場(4か所)、芋あめ・水あめ工場(3か所)が注目されます。

商店は159店。食料品店は78店、衣料品店は14店、理容美容店が12店、自転車店9店、ラジオ店9店などで、全部が個人商店で、スーパーマーケットや大型商業施設はありませんでした。

国鉄(現JR)高山線には蒸気機関車が走っていました。蘇原駅14時35分岐阜行きの列車に乗る人は3人、降りた人は2人。15時20分の美濃太田行の列車に乗る人は1人、降りた人は9人と乗降客は少なく、木管・自動車部品・でんぷんなどを積み込み、鉄板・自動車のタイヤチューブ・スプリング・でんぷんなどを受け取る貨物駅でした。駅員は駅長・駅員など12名が勤務していました。現在のJR蘇原駅の状況とは大きく異なっています。

交通量は、昭和30年9月7日・8日の午後2時半から3時半の1時間の状況が調査されています。「五ノ一社会科部しらべ」とありますので、5年1組の生徒と先生が一緒に調べたのだと思います。

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国道はコンクリート舗装され、苧ヶ瀬街道や国鉄蘇原駅前の道路は未舗装の砂利道であったと記憶します。乗用車は少なく、やっとオートバイは普及し始めたころ、歩行者や自転車が多く、荷車や馬車が走っていました。

町役場の職員は28人。町の歳出は約4千万円(昭和29年)、うち教育費は1千5百万円(37%)と、その割合が大変多いことに驚きます。

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昭和31年蘇原小学校出版の小冊子『私たちの町』

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