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無免許で警察官とドライブ

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公開日:2025/07/14

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昭和26(1951)年に蘇原東門町で最初にオート三輪(三輪トラック自動車)を購入した伊藤正憲さんに聞いた話を書きます。(ICレコーダーに録音してあるものを基にしています)

昭和26年、20歳のころのことです。

「 当時は製瓦業を営んでいました。その日、初めて顔を見るお客さんが、愛知県小牧市から乗用車に乗って来ました。自宅の母屋新築に使う瓦を求めるため、視察・調査に来て、幸いにも商談がまとまったのです。

そして瓦の搬入の話になりました。その当時は、輸送は馬車の運送業者に依頼し、1馬車約1000枚の瓦を載せて運んでいました。積載量が限られるので、載らない分は、翌日に馬車で搬入すると話すと、そのお客さんは、“実は私の家は自動車販売修理をやっているので、家のトラックを使って自分で運ぶ”ということになりました。

何カ月か後に瓦が出来上がりましたので、そのお客さんはトラックに乗って瓦を取りに来ました。当時、私は自動車に興味を持っていたので、眺めたり、話を聞いたりしていると、その人に「小牧市の店には中古の三輪トラックがある。価格は10万円だ。見に来ないか」と誘われました。私が「見たい」と言うと、「それでは、今からすぐに行こう」と話がまとまり、瓦を載せたトラックに自転車を積んで、小牧に向かいました。

今の県営名古屋空港(小牧空港)近くにある店に着き、トラックを見せてもらい、トラック代金の支払いは、瓦代金と相殺で良いという条件で、購入を勧められたので、私はトラックを買うことを決めました。

その日、三輪トラックは中古車で汚れていたので、夕方までかかって清掃をしました。来るときトラックに乗せてきた自転車で、1時間以上かけて自宅に帰り、今日の様子を父に報告し、是非ともトラックを買いたいと言うと、父も賛成してくれました。

翌日から3日間、毎日、早朝5時前に自転車で家を出発し、7時前には小牧市の店に到着する生活をしました。店では、トラックからエンジンを取り外し、分解作業、組み立て作業、プラグ点火のタイミングの調整方法などを教えてもらい、自動車の基本的な知識を習得しました。最後の日には、父と一緒に行き、販売契約を結び、近くの小学校の校庭で実際に車に乗り、運転技術を学び、夕方にはその車に乗って家に帰ることになりました。

当時、道路は国道であっても道幅は狭く、未舗装の砂利道で、交通信号や道路標識やセンターラインもありません。実際の道路で運転するのは初めての経験ですから、スピードを落とし、慎重に、慎重に運転し、やっと木曽川を渡り、各務原市に入りました。各務原市鵜沼西町の坂道にさしかかったのですが、そこで車が動かなくなってしまいました。

その車には、セルモーターはなく、エンジンを始動させるにはキックペタルを強く蹴るのですが、コツが必要です。何度も挑戦してやっとエンジンが始動するのですが、クラッチを踏んでギアを入れると、すぐにエンジンが止まってしまいました。幾度かチャレンジして、やっと坂を登りました。

このトラブルの原因は、車を始動するときは、ローギアーからセカンド・トップとギアを切り替えねばならないことさえ知らず、最初からトップギアーに入れたためでした。ハンドル操作はまだ1日目で、緊張の下での運転で、2時間以上かかって、やっと自宅までたどり着きました。

うれしくて仕方がないので、翌日から無免許で車に乗り始めました。

さすがに無免許運転では良くないと思い、自動車免許を取ろうと、買ったばかりの三輪トラックに乗って、那加町(現各務原市那加門前町)にあった警察署に、尋ねに行きました。

警察署で、自動車免許取得の方法・必要書類などを聞いても、誰も知りません。若い巡査が、その後は署長まで交えて、道路交通法などの書かれた分厚い本をめくり、やっと該当の規則を探し当て、提出書類が10枚も必要なことが分かりました。

最後に、色々親切にしてくれた警察署長から“オート三輪トラックに乗せてドライブに連れて行って欲しい”と頼まれ、署長を助手席に、2人の巡査を荷台に乗せて、旧中山道を那加の町を通り抜け、新加納、手力神社近くまで、無免許でドライブしました。

ニュースイメージ1

当時、那加の警察署があった各務原市那加門前町の交差点。今は、那加交番になっている

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