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欲しかったビスモーター

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公開日:2025/06/17

ニュースイメージ0

戦後、犬山市にあった“みづほ自動車”で製造販売したオートバイ“ビスモーター”は、当時はガソリン統制下で配給販売といったこともあり、需要は少なく販売数は伸びず製造は中止されました。その後、朝鮮特需を経て日本経済が復興、オートバイ産業は20社以上に成長し、自転車に小型エンジンを取付けたタイプのオートバイが多くの企業で生産、販売されました。それらを“ビスモーター”と総称していました。

この地域の農村部の若者が“ビスモーター”を入手できるようになるのは、昭和30年代からでした。改造が簡単な、後付けしたエンジン(大きさは草刈り機のエンジン程度)の動力を、自転車のリムやタイヤに接触させ動かすタイプが多かったようです。

蘇原持田町の小川政徳さんに聞いた話です。

「1960(昭和35)年、私は中学3年生でした。当時、原付(原動機付き自転車)は15歳以上なら警察に申請すればもらえる許可制でしたが、この年から試験が必要となる免許制に変更されるので、それまでに取得したらと、姉の1人が誘ってくれました。ただ、申請には顔写真と申請料750円が必要で、中学生にとっては高額で、高齢の両親に頼めないのでちゅうちょしていると、その姉が全額出してくれました。蘇原柿沢町の旭写真館で撮った写真を持って、蘇原栄町にあった交番に行き、姉に教えてもらいながら書類を提出しました」

「許可書が交付されたのは、3~4週間後だったと思います。許可証を手にしたものの、欲しくても欲しくてもバイクは手に入りません。そんな中、長姉の嫁ぎ先の義兄から声がかかりました。製瓦業を営んでいたため、トラックとビスモーターがありました。高齢の義父が体調を崩し乗れなくなったので、私がそれをもらうことになりました。そのビスモーターは、サドルの下にエンジンがあるタイプで、バッテリーはありません。ペダルで自転車をこぎ、少しスピードが出てからサドルの下に取り付けたレバーを引くと、エンジンが始動しました。バイクを持っている友人は誰もいないので、どこかに一緒に出かけることもできませんでした」

「当時、ガソリンスタンドでは、地下のタンクに油を貯蔵するのではなく、車輪のついた大きな丸い鉄製のタンクにガソリンを入れており、丸ハンドルをグルグル回して、例えるなら馬の顎のような形状の縦筒の上の透明なタンクに送り込み、上に溜まったものを給油していました。ガソリンを販売しているのは、蘇原古市場町の“仲野油屋”だけで、その場でガソリンに潤滑油を混ぜて混合ガソリンを作ってもらわなければなりません。ガソリンは大変高価でしたので、中学生が気安く給油することはできず、消費を抑えなければなりませんでした。乗るのは、授業のない土曜日の午後か日曜日ぐらい、家の前を100㍍程度で、遠くまで乗って出掛けることはありませんでした」

「この少し前、1958年にホンダのスーパーカブが発売され、人気を博していました。当時としては、極めて高価でした。1961年の正月、そのオートバイに乗って叔母がいとこを連れて遊びに来たので、早速借りて乗りました。スピードを上げたり下げたり、細い道、でこぼこ道を通ったり、急な坂を上がったり下りたり。2人乗りや3人乗りで坂を登ると、ハンドルが浮き上がり転倒してしまいましたが、それが面白く、よく遊びました。外形やデザインだけでなく、安定性や性能も全く異なり、自分のビスモーターとは比べものにならない良さを実感しました。たった半日だけの経験ですが、鮮明に記憶に残っています」

ニュースイメージ1

ビスモーターを乗り回した蘇原持田町内の道路。当時は、アスファルト舗装はされておらず、砂利道でした

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