うれしかった元旦の紅白まんじゅう
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公開日:2025/01/14
戦中の話です。元旦の朝は、小学校に登校しました。蘇原小学校(現各務原市立蘇原第一小学校)では校庭の東の一角に、西向きに教育勅語を収めた“奉安殿(ほうあんでん)”があり、その前に全校の生徒と先生が集まり、東を向いて整列する“新年年賀の式”がありました。そのときは、校長先生が巻物になった“教育勅語”を取り出し、うやうやしく読まれたことを覚えています。(小川雪路さん談)
以前に加藤操さん(令和3年95才で逝去)に、小学生であった昭和10年ごろの話を聞きました。
「私の叔父さんは大変ユーモアのある人でした。あるとき、教育勅語は“ちんおもうに、わがコソコソ国をはじむること・・・”と書いてあると教えられました。学校で校長先生が教育勅語を読むとそれを思い出し、“皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト”は“コソコソ国をはじむること”と聞こえ、もし笑ったりしたら大変なことになりますので、下を向いて神妙にしているのですが、笑いをこらえるのに苦心しました」
教育勅語は、天皇の家臣としての日本人を育てる戦前学校教育の根幹をなすもので、それを奉納してある奉安殿は、学校の中で最も神聖で不可侵な場所でした。学校長は白い手袋をしてそれを取り出し、うやうやしく拝読し、それを読み間違えた校長は、責任をとって辞職したと聞きます。
生徒たちは教育勅語を暗記し、拝聴する時は必ず静粛に頭を下げ、頭を上げることは許されなかったそうです。おそらく、奉安殿が西向きに建てられ、子どもたちが東に向かって整列したことは、岐阜からすると東の方角にある皇居に、天皇陛下に向かって拝礼する意識であったと想像します。
戦後は、もちろん教育勅語や奉安殿はありませんが、 “新年年賀の式”は昭和30年代には行われていました。蘇原小学校では、校長室や職員室がある南の2階建ての木造校舎に向かって、校庭に生徒が整列し、学校長が“朝礼台”に登って、年賀の話がありました。男性の先生は背広、女性の先生は和服にはかま姿の、改まった服装でした。ミカンかまんじゅうをもらったことを覚えています。
昭和30年代後半の話です。
「私の育った滋賀県彦根市には“えびす講”と呼ぶ行事が年末にあり、それに合わせて町の商店街では大売り出しがありました。そのときは、家族そろってバスに乗って服やシャツなどの衣類や下着類を買いに行きました。普段は買ってもらえない品です。大みそかの夜に、それを枕元に置いて眠り、元旦の朝に買ってもらった新しい衣服に袖を通すのが、うれしくてうれしくて仕方がありませんでした。元旦には新しい衣服に着替えて “新年年賀の式”のために学校へ行きました。式の後は、教室に戻り、紅白のまんじゅうをもらいました。当時、甘い物を口にする機会は限られていましたので、まんじゅうは大変うれしかったことを思い出します」(Aさん談)
現在の各務原市立蘇原第一小学校の校庭。木造校舎は鉄筋コンクリートに変わり、校舎の配置も昔とは違っています
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