小麦粉だけのお好み焼き
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公開日:2024/03/15
大勢の人が空腹であった昭和30年代までは、“お腹がふくれる”食べ物を自宅で作って食べていました。
お餅はお正月を迎える年末と、“寒の内”(小寒から節分までの季節)に餅をついて、水餅にして保存しましたが、珍しい“凍(し)み餅”の話を、小川八郎さんに聞きました。
「私の生まれ育った福島県では、寒冷な気候を利用して、“凍(し)み餅”という保存食を作りました。“寒の内”についた餅を、水に浸けてから、縄にくくりつけ、風通しの良い軒下などに下げました。気温が下がると餅の内部の水分が凍り、上がると氷が溶け、水分が抜け落ちます。これを繰り返すと、高野豆腐のように乾いた“凍み餅”は出来上がり、数カ月の保存ができます。農繁期に焼餅にし、味噌(みそ)を付けて食べると大変おいしかった思い出があります」
現代のお好み焼きは、水・牛乳・卵でといた小麦粉生地に、野菜・肉・魚介類などを入れた鉄板焼きで人気の大衆和食の一つですが、昭和30年代前半のお好み焼きは、簡素でした。
普段、家庭で作って食べていたのは、生地に塩が少し入っているだけのものでした。焙烙(ほうろく)というフライパンのような鉄鍋に、水で溶いた生地を厚さ2~3㌢に延ばし、少し焦げ目がつくまで焼いただけ。卵も肉や魚介類はもちろん、紅ショウガ・花カツオもなし。畑から収穫したネギを刻んで載せる程度で、何も入っていませんでした。
わが家ではこれを“べた焼き”と呼んでいました。焼いた焦げ目がつき少し苦いものや、かけた醤油が少し焦げて香ばしくなったものを喜んで食べましたが、やっと手に入ったウスターソースをかけると、特にごちそうでした。
お店で売る“お好み焼き”もとても簡素でした。
当時、蘇原古市場町には、明るく人柄の良い女将さんが切り盛りする“きらく屋”という屋号の、夏はかき氷や冷えたラムネを、冬はお好み焼きを売る小さな店がありました。
店にはお酒はありませんでしたので、主に学校を卒業して就職して間もない未成年の若者たちが集う所でした。
そのお好み焼きは、水で溶いた小麦生地の上にネギ・紅ショウガ・花カツオをかけてあるだけ。キャベツ、魚介類はもちろん、肉や卵でさえ入っていませんし、焼き上がってからマヨネーズをかけることさえありませんでした。
食べる物が不足していた時代、仕事帰りのお腹の空いた若者には、醤油やウスターソースが焦げる香ばしい香りだけで、大変おいしかったそうです。(小川豊一さん談)
“きらく屋”があった蘇原古市場町の交差点。昔の面影は、全くありません
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