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子どものおやつは自家製

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公開日:2023/11/14

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育ち盛りの子どもにはおやつが欠かせません。現代ならば、お菓子でも、スナックでも、果物でも、お店に行けば購入できますが、高度経済成長期以前の自給自足的であった時代は、そんなわけにはいきませんでした。

当時のおやつについて聞いてみました。

誰もが一番よく食べたのが、サツマイモでした。甘みが強く、食べておいしく、お腹も膨れるのでおやつには最適でした。釜でゆでた“ゆで芋”。ふかした“ふかし芋”。5~10㍉程度に切ってほうろくなどの薄鍋で焼く“焼き芋”。ふかし芋を1㌢程度の厚さに切り、むしろに広げて乾かした“切り干し芋”などがおやつになりました。

サツマイモを丸ごと、もみ殻や落ち葉を焼いた灰の中に入れて作る、いわゆる“石焼き芋”は特においしく、子どもたちは大好物でしたが、手間暇が掛かるため、めったに口にすることはできませんでした。

今よく食べられている大学芋、サツマイモのレモン煮、バター炒めなどの手間のかかる料理は、当時はありませんでした。

みそ・豆腐・油揚げ・湯葉・大豆油などの原料になる大豆は、痩せた土地や水田のあぜでも栽培ができる重要な農作物でした。大豆の炒り豆は、今では節分の豆まきの時にしか見ませんが、保存も容易で、食べておいしく、栄養価が高く、子どもたちの重要なおやつでした。大豆を、服やズボンのポケットに忍ばせ、食べながら遊んでいました。

皮をむいたらなくなってしまうような小さな里芋は、塩ゆでにし、皮を指で押し、芋を出して食べました。

ジャガイモもおやつになりました。蘇原持田町の小川和正さんは「子どものころはサツマイモも食べましたが、よくよく食べたのがジャガイモでした。もちろん、バターやマーガリンなどは一切ありません。塩を入れてゆでただけでしたが、私は大好物でした。今でもジャガイモのポテトサラダや粉吹き芋は好物です」と話します。

サトウキビのことは“アマキ”と呼んでいました。ススキを大きく太くしたような品種と、トウモロコシの茎に似た品種がありました。気候の関係で、茎の太さが直径2~3㌢程度にしか育ちませんから、砂糖を作ることはできませんが、子どもには十分な甘みでした。10~20㌢の1節(ふし)程度に切った茎の竹のように固い表皮を、口をケガしないように注意しながら歯で引き裂き、甘みのあるズイの部分をかんで甘い汁を吸いました。甘い物に飢えている時代でしたから、おいしいおやつでした。

果物や野菜ではイチゴ、サクランボ、スモモ、グミ、ヤマモモ、マクワウリ、スイカ、トウモロコシ、柿、イチジク、ミカンなどおやつになるもの、子どもが喜ぶ物が栽培されていました。

現代ならば、これらの作物の種や苗は、園芸店やホームセンターで容易に入手ができますが、当時はそのような店はほとんどありませんでした。栽培したものは種ができ実るまで待って、自分で採種し、それを保存し翌年に備えます。近所や知り合いの家に珍しい作物や果樹があると、種や苗木を分けてもらったり、枝をもらって挿し木をしたり、家にある台木に接ぎ木をするなどしました。

現代は商品性の高い作物を作るために、枝の剪定(せんてい)、摘果(てきか)、消毒、施肥(せひ)などの管理を行ないますが、当時は栽培技術も知識も低い時代ですから、植えてあるだけで、ほとんど管理もしません。化学肥料や農薬は、貴重で、種類も少なく、ほとんど使っていませんでした。

自家用でしたから、小さな物、虫の食傷のあるもの、形の悪い物ばかりでも、特に気にはしていませんでした。

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収穫中のサツマイモ畑(2023年11月 鵜沼三ツ池町)

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