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小学生は本当に道草を食って帰った

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公開日:2023/10/11

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「道草を食う」という言葉の語源は、「馬が路傍の草を食って進行が遅くなる」=広辞苑=からきているようですが、昭和30年代の自然が豊かであった時代、蘇原持田町の小学生は、通学距離3㌔の道のりを通学路にある食べられる物を食べながら、まさしく“道草を食って”帰ってきました。

4~5月ごろに紅紫色の若芽を出す “イタドリ”があります。タデ科ソバカズラ属多年生植物で、山菜や民間薬としても利用され、別名は“スカンポ”と呼びます。竹の茎のようで、柔らかく、たやすく折れるからか、子どもたちは“カラタケ”と呼んでいました。

土手や道端に生えているよく肥えた若芽を折り取り、外皮をむき、生をかじると、甘みは全くないのですが、多少のエグ味があるシュウ酸の強い酸味が刺激的で、見つけると子どもたちは“道草を食い”ました。

少し遅れて5月ごろに道端に生えてくるのが、タデ科多年草のスイバで、別名は“スカンポ”と呼びますが、“イタドリ”とは全く別の植物です。茎は強い酸味があるので、“スイスイバ(=葉)”と呼び、子どもたちは見つけると噛(か)み、汁を吸いました。薬用にもなり、山菜でもありますが、私は食べたことがありません。

河川の土手などに“チガヤ”という雑草が生えています。5~6月ごろに穂が出ます。それを口に入れ噛むと、特に味はなく、ただ“噛み心地” がガムに似ていました。その根は、白い地下茎になっていて、噛むとほんのり甘みがありました。土の中にある根ですから、泥がついていますが、指でこすって泥を落とす程度で口に入れました。それが汚いとか、不潔だとは全く思っていませんでした。これこそが本当の道草です。

昭和30年代は養蚕が行なわれていたので、桑の葉を蚕の餌にするために、畑には桑の木が植えられていました。桑の実は利用しませんので、他所の畑に勝手に入って紫色に熟している桑の実を食べることは許されていました。赤紫の実は甘みがあり、当時はおいしい“道草”でした。それを食べると口が紫色になるので、たちまち道草が分かってしまい、「桑の実食べたね」と言われました。

境川の土手や通学路の山裾には、赤い実のできるイバライチゴ・木イチゴが実りました。チャセンボは、通学路から少し外れた山中に木が生えていました。野生のグミの木が、岐阜カンツリー倶楽部の入り口付近の川端に1本だけありました。つる性の品種で、低木にからまり成長しますので、ぶら下がり、つるを引きずり下ろして、熟した赤い実を食べました。完熟した実はおいしいのですが、熟していないものは、なんともまずい、嫌な渋味が口に広がりました。

秋になるとブナ科の樹木には、固い殻をかぶったドングリの実がなります。クヌギ・コナラ・シラカシなどの実は食用になりませんが、シイと栗の実は食用になります。

伊勢湾台風の被害を受ける前の蘇原古市場町の加佐美神社には、大きなシイの木があり、秋になると大木から無数のシイの実が落ちました。学校帰りに道草をして帰るのは、おおむね男子ですが、シイの実拾いは女子も行なっていました。

実は、手の小指の爪の半分ぐらいしかない小さな実ですが、木により大きさに多少の差があり、どの木が大きな実をつけるか、子どもたちは知っていました。
黒色の固い外皮を歯で噛んで割り、白い実を取り出し、そのまま食べました。甘くもなく、油分も少なく淡泊な味ですが、季節を感じる道草でした。

野生の栗は、山栗、シバ栗といいます。栽培種に比べると実は小さいのですが、シイの実の何倍もあり、甘みもありおいしいので、栗のイガを見つけると、それを靴で踏んでイガを割り、栗を取り出しました。鬼皮を歯で割り、渋皮を取り除き、生で食べました。

今では大変な貴重品である“松茸”は、通学路から見える山中にも生えていました。松茸は生で食べることができませんので、子どもたちは関心がなかったようです。慣習で、松茸の出る10月は、“トメヤマ”と呼び、目印に荒縄を張った山に入ることが禁止されていました。子どもたちは松茸めがけて石を投げるいたずらはしましたが、茸を採ることはしなかったそうです。(小川豊一さん談)

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少し成長したイタドリ。子どもたちが食べたのは、よく肥えた、30~50㌢程度の若芽

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