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昔も今も大変な稲作

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公開日:2022/07/16

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現代の稲作農業は、機械化、農薬や除草剤や化学肥料の使用により省力化が進んでいますが、昭和30年代までの伝統的な農業では、どのような農作業が行われていたか聞いてみました。

“田おこし”は、今はトラクターを使うので短時間でできますが、昔は備中鍬(くわ)を使って人力で行っていました。腰を曲げ、鍬を振り上げて一振り一振り耕さねばならないので、1反=10㌃を耕すのに、2~3日はかかりました。

“あぜ(畦)”にモグラや野ネズミの穴があると、そこから漏水してしまうため水田に水を溜めることができません。今はあぜをコンクリートで固めたり、水を通さないプラスチックの板を埋め込みますので、漏水防止は比較的容易です。

昔は“あぜ塗り”をして漏水防止をしました。あぜに沿って溝を掘り、表土を取り除き、モグラ穴を埋めます。きれいに整地したあぜに、壁土状にドロドロにした田土を隙間なく塗り固め、乾かしてから埋め戻しました。

稲苗は、今は土を入れた専用のプラスチック箱にもみ米をまき、家の前庭で水道水を使って育てたり、農協から稲苗を購入したりします。箱から取り出した苗を田植え機にセットすれば、短時間で田植えは終わります。

昔は湧き水などで給水が容易な沼田に苗代を作り、苗を育てました。山で取ってきたフジツルの若芽や葉を乾燥させ、手でもみほぐして、苗代に足で踏み込めて肥料にしました。

苗代で育った稲苗は、苗取りをしてワラで縛って束にし、水田に運びました。苗束を左手でほぐしながら右手で田植えをしますが、大変時間のかかる作業で、家族総出で力を合わせて、ときには親戚や近所の人の応援を得ながら行いました。棚田の上部に位置し早く給水される水田は4月末に、棚田の下部で梅雨の天水を頼りにしている地域は7月初旬と、田植えの時期には約3カ月間も隔たりがありました。

田植えの後の除草作業は、昔は3回行っていました。“田打車(たうちぐるま)”とか“八反(はったん)ずり”と呼ぶ手押し除草機を使うこともありますが、田土を手でかき回しながら雑草を根こそぎ取りました。汗の噴き出す炎天下で、腰をかがめて長時間行う作業は重労働で、おまけに、稲葉の先が顔に刺さり痛かゆくなりました。今では除草剤を使います。

各務原市蘇原では、昔は10月中旬の“加佐美(かさみ)神社”の秋祭りが終わると稲刈りでした。ノコギリ鎌を使って刈り取りました。収穫の喜びはありますが、重労働であることには変わりありません。天候を見ながらの農作業で、薄氷の張る水田に素足で入って刈り取りをしたこともあったそうです。

束にした稲は、田から運び出し、竹と木で作った稲架(ハサ)にかけて自然乾燥しました。乾燥が終わると、脱穀・もみすりと、12月まで農作業が続きました。今は、コンバインで稲刈りと脱穀を一気に行います。

現代農業は機械化や省力化が進んでいるといっても、力仕事は多くありますし、多額の資本が必要になります。トラクター・田植機・コンバインは、小型でも数百万円と高価です。さらに、農機具の修理やメンテナンス費用、ガソリン代、農協から買う稲苗・除草剤・化学肥料の代金や、農業用水の水代なども必要です。米の買い取り価格は低く、1反で10万円程度の収入しかありません。減価償却さえままなりませんから、農協などに農作業の委託をするケースが増えています。

狭い圃場が連なる棚田は、小型の農機具しか使えません。農道から水田に農機具を移動するときに、急な傾斜地を通らねばなりませんから、農機具が転覆する危険もありますし、時間もかかりますので、農作業の委託には余分な経費がかさみます。減反政策と高齢化が進む中、農家の農業離れと耕作放棄地が増えています。

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耕作放棄で、アシが茂るようになった水田

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