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シャワーもなし 昭和30年頃のお風呂事情

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公開日:2022/04/14

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日本人は風呂好きな国民といわれ、現代では多くの家庭に内風呂があり、毎日入浴する人も少なくありません。しかし、上水道と灯油や電気の温水ボイラーが家庭に普及するまでは、そうはいきませんでした。

上水道が普及するまでは、井戸からつるべや手押しポンプでくみ上げた水を、風呂場まで運ばねばなりませんでした。「“今日はバケツ8杯”“今日は10杯運びなさい”と言い付けられ、家の裏にある井戸から、土間を通って玄関脇にある風呂場まで水を運ぶことが、小学生だった私の仕事になっていました」(Tさん)

私(筆者)の家は、風呂場から3~4㍍離れた所に井戸がありました。節を抜いた竹筒を手押しポンプにはめ込み、くみ上げた水が直接風呂おけに入るように工夫されていたので、水を運ぶ必要はありませんでした。それでも、手押しポンプを動かし水をくみ上げる作業は、小学生にとっては楽な仕事ではありませんでした。

当時、蘇原持田町の多くの家では、玄関脇の廊下や納戸の一部を改造して風呂場にしていました。風呂のたき口は玄関に作られ、燃料は松葉・わら・シバ・竹・割り木・廃材・紙くずなど、燃える物は何でも使っていました。風呂を沸かすには時間がかかります。特に、松葉・わら・シバは、すぐに燃え尽きるので、付きっきりで火の番をせねばなりません。湯加減がぬるいときは追いだきが、熱くなりすぎた時のためにバケツに水の準備も必要でした。

風呂おけは、鉄製大釜の長州風呂と、口径の大きな鉄製浅鍋に木おけをつなぎ合わせたような五右衛門風呂がありました。この両タイプともに、熱くなる釜の底が体に触れないように木製の浮きフタがあり、それに乗って湯中に沈めて風呂に入るのですが、うまくフタの中心に乗らないとひっくり返ることもあり、子どもには緊張の一瞬でした。

風呂の洗い場を、高価なタイルやコンクリートで作ることはできませんでした。私の家では、水が排水されるように古い瓦を敷き詰め、その上に丸竹をスノコ状に並べ、洗い場にしていました。竹は腐りますので、2~3年で取り替えていました。

上水道が無い時代ですから、シャワーは言うまでもなく、洗髪用のシャンプーやバスタオルもありませんでした。風呂水をくむことも、風呂を沸かすことも大変ですので、入浴は週に2~3回。限られた湯量で家族全員が入浴するので、終わりの方に入ると湯は少なくなり、白熱電球の薄暗い浴室照明ではっきり分かりませんでしたが、今思えば湯は汚れていたでしょう。

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風呂のたき口は、玄関左の壁にありました。壁は補修し、たき口部分もレンガで補修済みです

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