ブロイラーの飼育
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公開日:2022/01/13
蘇原持田町でニワトリをいつ頃から飼いはじめたかは、わかりません。しかし、明治30年度制定の持田村規則に「庭鳥(ママ)を耕地で出すこと無し」とあり、明治34年度制定規則には「鶏を畜(やしな)い耕地へ出せし者は、一羽に付金五拾銭の罰金を出さしむ。但、訴えし者へ三十銭、村方へ二十銭を合収す」とあります。
小屋で飼っていた採卵用のニワトリを、ときには小屋から出して虫や落ちた穀物などを食べさせたのでしょうが、しばしば、他人の田畑に行って農作物をついばみ、近隣トラブルになり、大きな問題になっていたのでしょう。
戦前には、多くの農家で、庭先にニワトリ小屋を作って数羽のメスを飼っていました。毎日卵を産むわけではなく、卵は極めて貴重でした。子どもが風邪などの病気になったとき、滋養のため食べさせることはありましたが、普段卵を食べることはめったになかったようです。家のニワトリが生んだ卵が数個たまると、殻を詰めた箱に入れて、町の医師宅に持っていって買ってもらったという話を古老から聞きました。
両親が、昭和30年代前半に、蘇原持田町で肉食用の若鶏ブロイラーの飼育を最初に始めた小川俊一さんの話です。
「母の在所(実家)が岐阜市鷺山で、ブロイラーの飼育をしていたので、そこで飼育技術を学び、岐阜市内の養鶏業者から生まれて間もないヒヨコを購入し、飼育を始めました。ニワトリ小屋は、自分の山から切り出し製材した木材で、自分で建てていました。そこに3段に金属製のケージを積み上げ飼います。ケージに入れる鶏は、小さなヒヨコの時は数多く、成長すると数を減らし、出荷間近い若鶏になると1羽ずつ入れていました。
餌は、クズ米やクズ麦、米ぬか、トウモロコシ、刻んだ野菜、砕いた貝殻などを、薪釜の“ハソリ鍋”で炊いて、1日に3回与えていたと記憶します。
ニューカッスル病などの病気が出ますので、消毒を欠かすことはできません。注意をしていても感染で、ニワトリが死ぬこともありました。
飼育を促進するためのホルモン注射を手伝ったこともあります。
両親は、朝から晩まで休みなく働いていました。始めた当初は収入は良かったようで、テイラーと呼ぶ耕運機を持田町で最初に購入しましたし、私の大学の学費も出してもらえました。持田町で、続いて4人が養鶏を始めました。
ニワトリ餌用配合飼料を使い始めると、手間は省け、飼育数を増やすことができましたが、その分、餌代がかさむようになりました。しかも出荷単価が低くなり、採算が合わなくなり、昭和40年代になり廃業しました。前後して、他の4人も廃業しました」
蘇原持田町に残る鶏舎の跡。少し後世に造られたため鉄材が使われていますが、柱などは極めて細い鉄材です。
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