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蘇原に3軒もあった映画館

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公開日:2021/12/07

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テレビが普及する以前は、映画が一番人気のある娯楽でした。

昭和20年代から30年代前半ごろまで、蘇原持田町では青年団が中心となり、映写機と映画フィルムを借りてきて映画会を催していました。

持田町に自動車を持っている人がいない時代には、勤務先の上司に頼み込んで、手配したトラックで運んだこともあったそうです。

上映場所は、寺の境内や民家の庭の時もありましたが、多くは持田町公民館でした。雨戸を外し開け放した公民館に映写機を設置し、隣接する畑の中に竹や木を立て、そこに白い布でできたスクリーンを張って投影しました。

野外映画会ですから、映写は夜、暗くなってからです。車やオートバイが走ることはほとんどない時代ですから、ヘッドライトの灯りが映写の邪魔をすることはありませんでした。

映画は、政治・社会・経済などの事件を知らせるニュース映画と、娯楽映画が2本というのが定番でした。さすがにニュース映画は新しいものですが、娯楽映画は封切りからかなり時間が経ったものばかりで、フィルムの傷が雨のように流れていたり、破損した部分を切り取ったためにストーリーが飛んでいたりするものもありました。

映写機の調子が悪く、画面が乱れたり、フィルムの送りが悪くて煙を出し、切れてしまったり、光源のライトが切れたりと、トラブルはいつもありました。その度に中断して、部屋の電灯を点灯し、修理が行われます。いつものことですから、観客は文句も言わずに待ちます。

さんざん待たされて映画が再開されます。「蔵馬天狗」などのヒーローが出て佳境に入ると、観客は手をたたいて応援しました。

稲葉郡蘇原町(現各務原市蘇原)には、戦前から映画館がありました。昭和30年代前半には、古市場町には「蘇原館」「ホウセイ(?)館」が、蘇原柿沢町には「大一劇場(?)」と、3軒の映画館がありました。

『つづり方兄弟』 『ノンちゃん雲にのる』『路傍の石』などの文部省推薦の映画を小学校から見に行きました。狭くて換気の悪い映画館にいっぱいの小学生が入るのですから、体調が悪くなったり、頭が痛くなったりすることもありました。

もちろん娯楽映画や話題作品など、大人向きのものも上映されていました。フランキー堺が主演した『私は貝になりたい』という映画ポスターが、古市場町の辻に貼られていたことを覚えています。当時は、その映画がどのようなストーリーなのかは全く知りませんでしたが、後になってからそれがBC級戦犯の悲劇を描いた映画で、岐阜県では18人がBC級戦犯として処刑され、その慰霊碑が岐阜の西別院に建てられていることを知りました。

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蘇原古市場町にあった「蘇原館」跡地。今は倉庫になっていて映画館の面影は全くありません

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