衝撃の有機肥料
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公開日:2021/08/02
明治期から化学肥料は国内で製造されていましたが、極めて高価でした。戦後になっても、「農協などで共同購入して、麻袋に入れて運ばれてきた“硫安”や“塩化カリウム”などの化学肥料は、村の公民館で分配しましたが、割り当てられる量は極めて少なく、大切に使いました」(Tさん)
わら灰や油粕などを購入することはありましたが、どこの農家も灰・堆肥・人ぷんなどの有機肥料を自給していました。
プロパンガスや電気炊飯器が普及する以前の時代です。毎日の炊事やお風呂は、かまどで松葉・しば・たき木・わらなどを燃料として燃やし、そこで出る灰は “灰小屋”にためていました。灰は火種が残りやすく、時には火事になることもあるので、母屋から少し離れた庭先にありました。
堆肥は、稲わら・麦わら・野菜くず・残飯・落ち葉・家畜の大小便の付いた敷きわらなど、有機質のものなら何でも庭の一画に積み上げ、家畜のふん尿や風呂の残り湯、台所の排水などをかけて発酵させて作りました。
人ぷんも大切な肥料でした。家庭のトイレは、母屋に隣接した小屋にあり、埋めた素焼きの大瓶にため、一杯になると畑の脇に埋めた“野壺 (のつぼ)”に移し、発酵させ、濃度を調節して、肥料として蓄えました。
貴重な人ぷん肥料を少しでも確保するために、「おしっこがしたくなったら他所(よそ)でしないで、走って家に帰って用を足せ、と親に言われていました」(Tさん)
肥料に人ぷんを使った農作物には、寄生虫のタマゴが付いていましたので、誰のお腹にも回虫・ぎょう虫などの寄生虫がいました。小学校では木の葉を敷いたマッチ箱に便を入れて提出し、寄生虫検査をし、“カイ二ンソウ”という海藻から作った“ムシクダシ”を飲み、駆除していました。
「“ムシクダシ”は、まずくて飲みづらい薬でした。副反応だと思いますが、飲むとすべての物が黄色く見えましたので、驚いて“黄色く見える”“黄色く見える”と友人同士で叫んでいました」(Gさん)「薬を飲んだ翌朝は、家の裏の畑で用を足し、白いミミズのような回虫が便と一緒に出てくるのを確認し、学校で先生に報告しました」(Yさん)
トイレのし尿をためた素焼きの大瓶。今は無用になり、掘り出され畑の片隅に放置されている
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