昭和回顧録
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公開日:2021/04/11
各務原はマツタケの産地だった
秋の味覚の王様であるマツタケは、今では各務原市内の山ではほとんど採れません。しかし、昭和30年代半ばまでは、赤松林の山ならば、どこにでもマツタケが出ていました。通学路の脇の山にさえ出ていましたので、小学生は見つけても、見向きもしませんでした。
蘇原持田町では、炊事用燃料の松葉をかき集めるために他人の山に入る入会権が認められていましたが、9月から11月までは“止(と)め山”といって、山裾に縄を張ってマツタケ山であることを示し、山に入ることを禁止していました。
マツタケが出始めると、山主は大きな竹籠を背負ってキノコ狩りに行きました。マツタケは毎年出る所が決まっていますので、いつもの場所に行けば、すぐに籠いっぱいの収穫がありました。
この時期は農繁期と重なるため、キノコ取りは小学生の仕事でした。学校から帰ると、毎日籠を背負って父母に言いつけられた山に入って収穫します。連日の手伝いが嫌になり、「今日は全く出ていなかったよ」(Kさん)と言うと、母親に嘘と見抜かれ叱られたことがあったそうです。
「持ち帰ったマツタケは、大きさを揃えて、仲買人に売ります。“運搬車”と呼ぶ荷物運搬用自転車で、那加西市場町の「えんしろう」さんが、決まって買い付けに来ていました。持田町公民館が、集荷場になっていたこともありました」(Kさん)
「昭和30年ごろには、私の家は“マツタケ狩り”を営んでいました。お客さんは、一宮の紡績会社の重役やその従業員、国鉄の職員などが多かったと記憶します。マイカー時代到来前の事ですから、オート三輪で国鉄蘇原駅まで送迎しました。山ではキノコがたくさん出ていそうな所に案内するのですが、いつも好都合にマツタケが出ているわけではありません。特に、日曜日に大勢のお客さんが来た時などは、やむを得ず他の山で採ってきたマツタケを、体験用に松の根元に植えておくこともありました。何も知らない町のお客さんは、「マツタケはこんなに簡単に採れるのか」といいながら、喜んで採っていました。採ったマツタケは、松林の中で“炭火ひちりん(七輪)”で“焼きマツタケ”や“すき焼き”にして出し、帰りにはヒノキの小枝を敷いた竹籠にマツタケを詰めて、お土産としました」(Yさん)
昭和30年代後半にプロパンガスが普及し、炊事燃料用に松葉をかき集める“松ゴカキ”が行われなくなると、山には落ち葉が積み重なり、赤松林から落葉広葉樹や照葉樹へと植生も変化し、マツタケは採れなくなりました。
かつては赤松林であったが、今では落葉広葉樹や照葉樹や竹が広がっている山
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