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お菓子はサツマイモが原料

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公開日:2024/01/18

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蘇原小学校(現在の各務原市立蘇原第一小)社会科研究部編集の『私たちの町』(昭和31年出版)には、蘇原地区にサツマイモを原料にするでんぷん工場は5社、イモあめや水あめの工場が3社、イモでんぷんカスを発酵させて作るアルコール製造工場1社があるとあります。

この資料集には掲載がありませんが、昭和30年代前期には、スティック状に切ったサツマイモを油で揚げて、甘い蜜を、蜜といってもおそらくはサツマイモから取った水あめをまぶして作っていたカリントウ工場が、蘇原古市場町に1社ありました。

この食べ物は、今はイモケンピと呼んでいますが、当時はカリントウと呼んでいたので、この名称のほうが高齢者には通じます。

カリントウはお腹もふくれ、値段が安いので、持田町で毎年11月に催される子どもたちの祭り“山神講(やまのこ)”では、1斗缶入りのカリントウを購入し、みんなで分けて食べました。当時カリントウは貴重なお菓子でしたので、だれもが楽しみにしていました。

蘇原持田町の小川進さんにサツマイモから作る“水あめ”の思い出を聞きました。

「私が小学生低学年だった、昭和30年ごろの思い出です。父は、秋になり収穫したサツマイモをタデ(わらで編んだむしろを袋状にしたもの)に詰め、それを大八車に6~7個乗せて、蘇原坂井町にあった“小林店”というあめ屋に出荷していました。50~60㌕もあるイモの入った重いタデを、6~7個を車に乗せるだけでも重労働です。大八車の車輪は、木製ではなくゴムタイヤでしたが、300㌕を超える重い車を人力で引くのです。持田町から坂井町まで約2㌖で、道は未舗装のでこぼこの砂利道ですが、下り坂なので比較的スムーズに進みます。ただ、境川にかかる橋を渡ると高低差2㍍程度の坂を上らねばなりません。自動車ならば全く気にならない上り坂ですが、人力で上がるのは大変で、小学生だった私は、父親の引く車の後ろから力一杯押して、父を助けました。あめ屋ではイモの計量が行なわれ、それに応じて現金が支払われるのですが、私が手伝う時は、戦前の軍隊時代から使っていた飯盒(はんごう)を持参し、それに一杯の水あめを“オダチン”として買ってくれました。水あめは、うす褐色のあめ色でした。家に帰ってから、箸であめを丸め取って食べました。弟と2人のおやつになりました。10日間程度は、楽しんだと記憶します」

蘇原地区では、11月に蘇原小学校の教室を会場に、文化祭が開催されていました。小学生と中学生の絵画や書道などの作品展、地域の婦人会員の作品展、婦人会主催の“うどん”“みそおでん”などのバザーがありました。お菓子などのバザーもあったと思いますが、私が覚えているのは、サツマイモを原料にする“イモあめ”と“水あめ”です。

イモあめは白色の小判形。厚さは1㌢程度、大きさは小判より少し小さい。やわらかく粘りがあるので、アイスキャンディーのように棒にさしたものを、透明なセロファン紙に包んで売っていました。セロファンを取り口にほおばると、ネチャネチャして歯にくっつきました。

水あめは、赤や緑や黄色に着色されており、2本の箸に巻き付けたものを、グルグル回して練りながら食べました。

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収穫され、一輪車に載せられたサツマイモ(2023年 各務原市三ツ池町)

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