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貴重なおやつだった嫁入り菓子

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公開日:2023/12/14

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昭和30年代までの農村社会では、現金収入が少なかったこともあり、子どものおやつは自宅で収穫した芋、豆、果物などでした。お菓子を食べることは、めったにないことでした。

「人前でお菓子を見せびらかして、自分だけ食べてはいけない。もし食べるのであれば、必ず分けあって一緒に食べなさい」と言われていました。

特に、蘇原持田町は町内に商店がなかったので、子どもたちが小遣いをもらってお菓子を買えるのは、4月の持田町白山神社の祭礼の日と12月の持田町西嚴寺の報恩講の日の露店、蘇原の加佐美神社の祭礼の日、遠足に持って行くことが許されていたお菓子を蘇原古市場町にあった商店に買いに行くときぐらいで、この他にお菓子を買うことはほとんどありませんでした。

お菓子を売る店があった蘇原島崎町で育った大堀等さんは「家のおばあさんが、古新聞紙をのりで貼り合わせて紙袋を作る内職をしていました。月に1~2度、出来上がった紙袋を商店に届けに行くと、おばあさんから5円~10円のお小遣いがもらえました。そのお金でお菓子を買うのが楽しみでした。その他にお小遣いをもらってお菓子を買いに行くのは、お祭りと遠足の時ぐらいでした」と話します。近所に店があっても、子どもがお菓子を買って食べることは、ほとんどなかったようです。

子どもたちが楽しみにしていたのが、“嫁入りの菓子まき”でした。

「今度の日曜日の○時ごろに、△家で菓子まきがある」という話が伝わると、子どもも大人もお菓子欲しさに大勢集まります。

ハイヤーに乗った花嫁さんが嫁ぎ先に着いた時には、お嫁さんが持ってきたお菓子が、花嫁さんが嫁ぎ先の家に入る時には、婚家が準備したものがまかれました。

嫁入り菓子は当家の慶(よろこ)びを表わし、家の息子や娘が結婚したことを大勢の人に知ってもらい、祝っていただきたいという願いからの“大判振る舞い”で、多くの菓子が準備されました。

昭和30年代前半によくまかれていたのは、ウサギやウシやゾウなどの動物の形で、表面に黄色、黄緑、桃色などの砂糖が塗られている“動物ビスケット”でした。

その菓子は、箱入りや個別包装ではなく、バラバラでむき出しの、無包装のビスケットでした。それを庭や道路に“まく”のですから、当然“土”が付着しますが、何の抵抗もなく拾い、付いた泥は手ではたいた程度で食べていました。

時代が下り昭和40~50年代になると、無包装から箱入りの菓子になり、その種類もポテトチップス、コーンの菓子、チョコレート菓子とバラエティーあるものに変わっていきました。

2階の窓や屋根の上からまかれていたものが、平成の頃にはだんだんと手渡しで配布する方法に変わっていきました。

“家にお嫁さんを迎える”という意識、花嫁さんが仏壇のご先祖にご挨拶のお参りをするという風習、一族郎党や近所の人に結婚を報告するという習慣が薄れ、結婚式がホテルや式場で行なわれるようになると、“嫁入りの菓子まき”はいつの間にかなくなってしまいました。

 

ニュースイメージ1

昭和30年代の面影を残す民家。茅葺きだった屋根にトタンをかぶせてある。掃き出し窓は、木製枠にガラスが入っている

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