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質よりは量の時代~昭和30年代の食料事情~

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公開日:2023/03/31

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高度経済成長以前の、米さえ十分でなく食糧事情が厳しかった時代は、庶民は空腹を満たすことに腐心していましたので、炭水化物は重要でした。

餅は、現代ならスーパーマーケットに行けば容易に手に入りますが、昔は自宅で“餅つき”をしていました。

餅米、まき、セイロ、釜、かまど、臼、きね、のし棒、のし板、取り粉を準備します。前日には餅米を洗い、水に浸しておきます。当日は、かまどに釜で湯を沸かし、セイロという蒸し器に、水から上げておいた餅米を入れ、蒸気で蒸します。蒸し上がってふっくらした餅米を、臼に入れてきねでつきました。

家によって餅米に割れたクズのうるち米を混ぜて作る“コワモチ”、キビを入れたキビモチ、アワモチ、タカキビモチなどを作る家もありましたが、バラエティーに富んだ餅を作るという感覚ではなく、高価な餅米を節約するための工夫であったようです。

きねは重く、体力のある男性がいないと餅をつくことはできません。家族総出で、時には親戚まで集まって餅つきをしました。協力してくれた家族、親戚の労をねぎらい、孫やおい、めい、ひ孫など集まった子どもたちが喜ぶよう、つきたての餅を砂糖醤油、大根おろし、きな粉などで食べました。

たくさんの餅をつくことは、豊かさの象徴であり、“今年は6臼ついた”“8臼ついた”と話題にしました。小学生の間では「6つ食べた」「8つ食べた」「10個食べた」とたくさん餅を食べたことを自慢話にしていました。

餅つきには手間と労力が必要で、法事などの仏事か、お正月を迎える年末にしか作らない特別な食べ物でした。雑煮などの汁に入れても、焼き餅にしても、調理が簡単で、おいしく腹持ちがよい、大切な保存食でもありました。

時間が経つと固くなり、青カビが生えます。今は冷蔵庫で保存したり、冷凍庫で冷凍して保存しますが、冷蔵庫もない時代は、“水餅(みずもち)”にしました。水を張った木桶や瓶に餅を入れて保存すると、餅が乾燥しないので固くなりにくいのです。「寒の内の水はカビが生えない」と言われるように、カビも防げます。餅が水に溶け出し、水が白く濁ってきたら、新しい水に換えます。次第に異臭がして味が悪くなりますが、うまくすれば2カ月以上も保存できます。

焼いた水餅に醤油を付け、弁当箱に入れおけば、時間が経って冷めても固くならず、学校や会社や野良仕事のお弁当としておいしく食べることができました。

小麦を栽培する農家は、収穫した小麦を製粉所に出荷しました。代金を現金で受け取るのではなく、加工されたうどんを必要な分だけ、ノートに記録しながら受け取る方式をとっていました。(小川輝良さん談)

うどんはいつも“みそ煮込み”にして調理して食べましたが、昔の調理法は今と違っていました。

うどんを茹でた汁の中に、みそを溶かす。または、みそ汁に乾麺を直接入れ、麺が軟らかくなるまでよく煮込む。どちらの場合も、汁は少なく、でんぷんとみそでペースト状態となり、名前の通り“煮込みうどん”でした。

この調理法は、母親が行なっていたものをまねただけ(小川幸子さん談)だそうですが、プロパンガスもない時代ですから、炊事に使う貴重なまきを少しでも節約するとともに、うどんから出るでんぷんをムダなく、捨てることなく、全部食べられるような料理方法であったようです。

だしは煮干しだけで、削りカツオなどはありませんでした。具は大根やネギやニンジンなど家で採れた野菜だけ。肉やカマボコが入ることはなく、家で飼っているニワトリの卵が1つ入れば、ご馳走でした。

夏になると、ひやむぎやそうめんを食べました。ラーメンはありませんでした。

蘇原持田町では所有する畑によるのか、栽培作物の関係によるのか、ソバの栽培は特定の家に限られ、作付け面積も広くなかったようです。

自家用に栽培したソバは、自宅で夜なべに石臼で引いたり、製粉所に持って行って、そば粉にしました。ソバを打つのは自宅で行ないました。ただ、小麦粉や自然薯をつなぎに使う特別な技術もなく、そば粉だけの十割ソバで、長さ4~5㌢の短い物しか作れませんでした。それを細く切った大根と一緒に蒸して、ザルソバのようにつけ汁に付けて食べました。

小麦粉はパンやピザやギョーザなどを作ることができますが、この時代はスイトンかお好み焼きぐらいしか作りませんでした。

スイトンは、小麦粉を水で練り、団子状にしたものを汁に入れて煮たもので、戦中から戦後の食糧事情の悪い時代によく食べられていました。調理が簡単で、温かく、お腹もふくれたので、米飯の不足分を補う重要な料理でした。当時は野菜の具しか入っていない醤油汁で、だしもきいておらず、今だったらおいしく感じられないでしょうが当時は喜んで食べていました。

現代のお好み焼きは、肉や卵や天かすや野菜が入ったおいしい料理ですが、当時は小麦粉を水で溶いたものを厚く広げ焼いただけのものでした。ウスターソースはぜいたく品だったので使えませんでした。溜まり醤油をかけただけでも、焦げた醤油は香ばしく、おいしかったことを思い出します。

貧しい時代の食生活は、栄養のある物、おいしいもの、バラエティーのある物を求めることは無理な時代でした。

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水餅。容器は木桶や瓶を使っていましたが、今はプラスチックになりました。

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